guidebooks guide
いまだ消えぬ余波
『ジャン=リュック・ゴダール』
  エスクァイア マガジン ジャパン
 
ジャン=リュック・ゴダール。映画監督。元東大総長の蓮実重彦、日本式ポストモダンの浅田彰、東大表象の丹生谷貴志などがしきりにゴダールについて言及している。それとは別に、単純に「かっこいい」から渋谷ではずっと人気がある。確かに東大教養は行動範囲が渋谷か下北になるのだが、マスメディアなど必要としない渋谷と、ぴあMAPが最も売れる東大とでは、あまりにもギャップがある。クリティカルタームを駆使して読解を試みて批評する人もいれば、単純に「かっこいい」という人もいる。その振れ幅の大きさが、ゴダールの魅力であり、観れども尽きぬ奥深さをもたらしている。最新作も無事に日本公開された。ちなみに、人気があるといってもハリウッドの大作とは商業として全く異なっているので、日本では観客動員3万人を突破すればヒットである。最新作も無事に日本で公開され、変わらず絶賛された。
 
ゴダールは難解なのか。ゴダールが作るのは用意周到に作り込まれた映画作品ではない。決められ作りこまれていないからこそ、議論の余地が生まれている。そして、圧倒的な物量で挟み込まれる哲学と文芸を中心とした引用が、難解なのではないかという思潮に拍車をかける。だが、ゴダールは難解ではない。だが、説明するのは難しい。説明しようとすると何百枚も必要なのだが、それは説明が詳細になるだけであって、なおさら本質はすり抜けていく。ゴダールの映画を観るという行為は、自分の受容形式の試験にもなる。
 
ゴダールはブルジョワの家庭に生まれた。スイスとフランスの国籍を持っていて、ソルボンヌを卒業した。彼自身が人並み外れたシネフィルだった。最初は映画批評を書きなぐっていた。その仲間たちが次々に自らメガホンをとり、膠着した映画業界に新しい波(ヌーヴェルヴァーグ)を巻き起こす。中でもゴダールの登場は、映画の潮流に変換(コンヴェルシオン)と痙攣(コンヴュルシオン)をもたらした。
 
1960年に公開された初監督作「勝手にしやがれ」は、アメリカの低予算B級映画へのオマージュだ。彼はそれまでスタジオにあったカメラを屋外に出し、自然光で撮影した。カメラは手持ち。伝説になっている、シャンゼリゼを歩くセバーグとベルモントの長回し。マチフン(街の雰囲気を出すための効果音)が奥からふたりを包み込む。室内では碧川ポジションが多用される。左右対称の構図にこだわったのはキューブリックだが、ゴダールは(写真の)黄金分割を尊重している。編集も従来の手法とは異なり、台詞がまたがるジャンプカットなどで、変化と痙攣を映画に吹き込んだ。ディートリヒが「モロッコ」で履いたように、ヘップバーンが「麗しのサブリナ」で履いたように、ここではセバーグがパンツを履いている。髪もショートだ。セバーグはタンクトップ姿でベッドに転がり、ベルモントがかぶっていた帽子をかぶる。それまでの映画で描かれていた官能的に着飾り、男性のアプローチを待つ淑女ではなく、そのとき街にいるリアルな女性をフィルムに焼きつけた。
 
カラーになってからは、ゴダールの映画は色の洪水である。「軽蔑」(1963)の冒頭、ブルジット・バルドーがベッドに横たわるシークエンス、フィルムは赤、白、青と変わる。「気狂いピエロ」(1965)での、全編にあふれる青と赤。ハレーションなどおかまいなし。アメリカの夜(日中に夜のシーンを撮る)もチープ。「中国女」(1967)での、真っ白な部屋に並べられる真っ赤な毛沢東語録。「ワン・プラス・ワン」(1968)でゴダールはつけたくなかったラスト、完成し(てしまっ)たローリング・ストーンズの「悪魔を憐れむ歌」が流れる中、女優ヴィアゼムスキーがクレーンに横たわるシークエンス、フィルムは小刻みに色を変える。「東風」(1969)の後半では、映画が映画であることを拒否したかのように、全面真っ赤な映像が分断的に差し挟まれ、フィルムにはまがまがしい傷がつけられる。エヴァンゲリオンが話題になったのはそういった破綻行為だったが、ゴダールは30年も先んじてやってのけていた。フランス国旗のトリ・コロールを中心とした鮮やかな色彩が中心。いずれも目にまぶしく、まぶしいからこそ悲しい。
 
作家主義を唱えていた初期の批評活動とその実践を自己批判した(ハリウッドの隆盛によって、映画制作は「システム」になっていた)かのような、匿名的な映像制作活動「ジガ・ヴェルトフ集団」の時期を経て、ゴダールは商業映画に復帰した。復帰したのだが、その映像は以前にも増して「ありえない」ものだった。「勝手に逃げろ/人生」(1980)では、フィルムは突然小刻みなストップモーションとなり、また突然スローモーションとなる。延々と続くモノローグも増えた。
 
1990年代のゴダールは、音について新たな試みを模索した。彼はその概念を「ソニマージュ」と名づける。英語でいうとサウンドとイメージをくっつけた造語だ。その名も「ヌーヴェルヴァーグ」(1990)では、映像とは無関係のようでいて密接に絡まりあっている音が飛び交う。「ヌーヴェルヴァーグ」には、映画で使われている音楽をフルコーラス収録した従来のサウンドトラックとは異なる、映画の音だけをただそのまま収録したほんとうの意味でのサウンドトラックがある。そのライナーノーツには、盲目の人が書いた文章が掲載されている。それ以前にも、目の見えない人がゴダールの映画を「聴いて」涙を流すことがたびたび話題になっている。
 
2000年に日本でも公開された大作「映画史」に代表されるように、ゴダールは先達への敬意を常に持っている。溝口健二などの日本人監督や、宮川一夫などの日本人カメラマンについても詳しい。そして、商業映画の世界が置き去りにした過去の映画監督を、再び世に送ることを何度も行ってきた。システムの中で殺される創造性や、それでもシステムの中で求められる個性といったことを考え、映画というもののあり方について探求と自己言及を繰り返してきた。「これは恋愛映画ではなく、恋愛についての映画だ」とゴダールが語るとき、それは頭で解釈するものではなく、気持ちで解るものなのだ。
 
ゴダールの言葉を4つ。
 
「映画とはなにかという疑問に対し、私はまずこう答えたい。美しい感情の表現である、と」
(筑摩書房『ゴダール全評論・発言』)
 
「映画批評というのは、言葉について語る言葉なのです。しかも厄介なことに、その言葉は映画について語ろうとします。映像は言葉で語られるようにはできていないのです。」
(筑摩書房『ゴダール/映画史』)
 
「芸術は常にジキル博士ですが、技術はハイド氏です。ジキルはハイドとの友好関係を必要としていますが、ハイドはジキルを無視します。それこそ今の技術です。」
(本書)
 
「映画は思考の道具としての役割を果たさなかった。映画は人々の利益を得るためのみに利用されることになり、資本としての役割しか果たさなかった。人々は道を誤った」
(「ステュディオ」誌 映画誕生100年記念特集)
 
いまだ、コダールを言い当てる言葉は見つかっていない。
 
映画というものがハリウッドの「システム」に独占化していくことへの不安、作家個人の創造性、映画への自己言及、先達への敬意、新しい手法、新しい編集手法、新しい概念、映画を「撮る」という態度、色と音へのこだわり。ゴダールの作品の歴史は、絶え間ない「映画」の問い直しだった。そして彼は、決して技術に頼ることはない。予算も、バルドーを主演に据えた「軽蔑」が100万ドルだった程度で、他のすべてはお金がかかっていない。
 
この本は、ゴダール<について>の本ではなく、ゴダールの映画の本。各作品のデータが並び、時折ゴダールやアンナ・カリーナのインタビューが申し訳程度に挟まれる。そして、すべてを網羅しているわけではないのが惜しまれるが、思想や文学、音楽や絵画など、膨大な──それによって成り立っているとさえ言える──引用をまとめてある。観るときのデータとして、サブテキストとして、最適。
 
taniyajapan.com message 2004 collection 2003 collection Products lineup about japan information
2005 collection
copyright (c)2004 taniya all right reserved.